1
北上市では、平成24年1月から、「地域づくり組織条例」の策定に取り組んでいます。
北上市は、平成18年に「まちづくり協働推進条例」を制定し、それを踏まえて、今年度まちづくりの役割分担の根拠となる条例として「自治基本条例」が策定される予定となっています。「地域づくり組織条例」は、「自治基本条例」に描かれた協働のまちづくりを進めるために重要となる「地域づくり組織」の根拠となる条例となります。
北上市は、平成18年に地区公民館を「交流センター」として生まれ変わらせ、生涯学習に加えて地域づくりを重要な役割の一つとし、その管理運営にあたっては指定管理社制度を導入し、地域にゆだねています。市内にある16の交流センターは、地域の自治組織の活動を支え、地域づくりの拠点として活用されています。
現在の北上市の総合計画には、16の地域計画も含まれており、北上市では16地域を単位とした住民主体の地域づくりと市との協働が着実に進められています。
そのような中、地域の主体と市との協働を明確にするために、条例の制定を目指しています。
条例は、地域の自治組織の代表や交流センターの会長、一般公募の32名からなる策定委員会で策定を進めています。当センターとセンターの代表理事広田純一(岩手大学農学部教授)は策定委員会の運営をサポートしています。
昨年度末からこれまでに計9回の策定員会を開催してきました。
第1回 3/7 地域づくりの課題の所在整理1
第2回 3/19 地域づくりの課題の所在整理2
第3回 4/16 地域づくり組織のあるべき姿の検討(自治協議会の場合)
第4回 5/23 地域づくり組織のあるべき姿の検討(自治会・区長の場合)
第5回 6/11 地域づくり組織のあるべき姿の検討(交流センターの場合)
第6回 7/4 小括 ~あるべき姿に関する検討結果の確認~
第7回 7/23 条例の項目整理
第8回 8/29 条例素案の検討
第9回 9/13 条例素案(修正案)の検討
策定委員会は、基本的には4~5つの班に分かれて、ワークショップ形式で丁寧な議論を重ねてきました。北上市では、すでに16地区に分けた地域づくりが行政との協働のもとに進められてきており、いわば条例より実態の方が先行していました。なので、これまで地域づくりを進めていくうえでの課題や悩みが非常に具体的で、委員の皆さんの理解と意識も高く、毎回非常にレベルの高い議論が行われました。
最初に、市からのあいさつや、当日の補足資料等が提示されます。

次に、広田先生から前回の振り返りや今日の進め方の説明を行います。

そのあと、班に分かれて、条例の内容についての議論が行われます。議論の進め方は、センターのほうで噛み砕き、議論がしやすいように論点と作業方法をなるべく簡潔にするように市と丁寧に準備を行いました。
ただ、今回は単なる地域づくりとは異なり、北上市の現状や地域づくり組織に関する知識が必要なので、班の記録係として入る学生にも事前にレクチャーを行いました。

最後は、各班から発表し、全体として情報や課題、方向性を共有します。自分の班と同じだったり、異なったりすることで、全体の方向性がわかりやすく理解できました。

地域づくり組織条例はこれまでおよそ8か月間かけて作り上げてきて、現在、「素案」を持って、市が地域説明会に入っています。これからはその結果を見て修正し、さらにパブリックコメントを行い、議会へと持ち込まれることになります。
策定委員会のメンバーは、生みの親として見守っている状態。あと少しです。
北上市内の地域づくりには地域計画策定など様々な側面でかかわらせてもらいましたが、今回の条例策定を通じて、改めて北上市民や地域づくりにかかる人々の意識の高さ、地域に対する責任感や熱い思いを感じました。市役所の信頼関係も強固で、これまでの時間の積み重ねを感じます。将来の可能性も感じます。地域づくりにかかわる者として、本当に多くを学びました。
北上市は本当に、行政と市民の協働の先進地です。
(わかな)
北上市は、平成18年に「まちづくり協働推進条例」を制定し、それを踏まえて、今年度まちづくりの役割分担の根拠となる条例として「自治基本条例」が策定される予定となっています。「地域づくり組織条例」は、「自治基本条例」に描かれた協働のまちづくりを進めるために重要となる「地域づくり組織」の根拠となる条例となります。
北上市は、平成18年に地区公民館を「交流センター」として生まれ変わらせ、生涯学習に加えて地域づくりを重要な役割の一つとし、その管理運営にあたっては指定管理社制度を導入し、地域にゆだねています。市内にある16の交流センターは、地域の自治組織の活動を支え、地域づくりの拠点として活用されています。
現在の北上市の総合計画には、16の地域計画も含まれており、北上市では16地域を単位とした住民主体の地域づくりと市との協働が着実に進められています。
そのような中、地域の主体と市との協働を明確にするために、条例の制定を目指しています。
条例は、地域の自治組織の代表や交流センターの会長、一般公募の32名からなる策定委員会で策定を進めています。当センターとセンターの代表理事広田純一(岩手大学農学部教授)は策定委員会の運営をサポートしています。
昨年度末からこれまでに計9回の策定員会を開催してきました。
第1回 3/7 地域づくりの課題の所在整理1
第2回 3/19 地域づくりの課題の所在整理2
第3回 4/16 地域づくり組織のあるべき姿の検討(自治協議会の場合)
第4回 5/23 地域づくり組織のあるべき姿の検討(自治会・区長の場合)
第5回 6/11 地域づくり組織のあるべき姿の検討(交流センターの場合)
第6回 7/4 小括 ~あるべき姿に関する検討結果の確認~
第7回 7/23 条例の項目整理
第8回 8/29 条例素案の検討
第9回 9/13 条例素案(修正案)の検討
策定委員会は、基本的には4~5つの班に分かれて、ワークショップ形式で丁寧な議論を重ねてきました。北上市では、すでに16地区に分けた地域づくりが行政との協働のもとに進められてきており、いわば条例より実態の方が先行していました。なので、これまで地域づくりを進めていくうえでの課題や悩みが非常に具体的で、委員の皆さんの理解と意識も高く、毎回非常にレベルの高い議論が行われました。
最初に、市からのあいさつや、当日の補足資料等が提示されます。

次に、広田先生から前回の振り返りや今日の進め方の説明を行います。

そのあと、班に分かれて、条例の内容についての議論が行われます。議論の進め方は、センターのほうで噛み砕き、議論がしやすいように論点と作業方法をなるべく簡潔にするように市と丁寧に準備を行いました。
ただ、今回は単なる地域づくりとは異なり、北上市の現状や地域づくり組織に関する知識が必要なので、班の記録係として入る学生にも事前にレクチャーを行いました。

最後は、各班から発表し、全体として情報や課題、方向性を共有します。自分の班と同じだったり、異なったりすることで、全体の方向性がわかりやすく理解できました。

地域づくり組織条例はこれまでおよそ8か月間かけて作り上げてきて、現在、「素案」を持って、市が地域説明会に入っています。これからはその結果を見て修正し、さらにパブリックコメントを行い、議会へと持ち込まれることになります。
策定委員会のメンバーは、生みの親として見守っている状態。あと少しです。
北上市内の地域づくりには地域計画策定など様々な側面でかかわらせてもらいましたが、今回の条例策定を通じて、改めて北上市民や地域づくりにかかる人々の意識の高さ、地域に対する責任感や熱い思いを感じました。市役所の信頼関係も強固で、これまでの時間の積み重ねを感じます。将来の可能性も感じます。地域づくりにかかわる者として、本当に多くを学びました。
北上市は本当に、行政と市民の協働の先進地です。
(わかな)
■
[PR]
▲
by iwasen_icsc_2005
| 2012-09-28 16:18
| 北上市地域づくり組織条例WS
|
Comments(0)
9月も下旬というのに、暑い日が続きますね。まだ1週間程度は続くみたいですね…。もう、暑くてもいいから、雨が降ってほしいです…(涙)。
今、岩手県内各地では秋祭りの真っ最中です。今日は遠野を車で通りすぎた時に、神楽のお囃子が聞こえてきました。そんな時節ですが、お祭りつながりでアップを忘れていた8月の七夕祭りの記録です。
被災後、4月~8月頃まで内陸の西和賀町に陸前高田の皆さんが内陸避難生活を送っていました。その時に支援をしたきっかけで、西和賀の方は陸前高田の方の支援を続けています。最近は、「チームにしわが」を結成し、これからも長期的に支援を続けていく体制を整えました。(当センターを通じて、日韓共同募金を活用させていただいています。ありがとうございます。宣伝。)
8月7日、陸前高田氏の気仙町にて、けんか七夕が開催されました。被災前は6台あった山車は5台が流され、昨年度は1台で「けんか」ができない中での七夕となったということですが、今年は茨城のスーパーカスミさんなどの支援を受けて山車を1台新調し、震災後初めて「けんか」をできる!という熱い思いの中での七夕でした。
準備のため、朝は6時集合。すでに、暑くなり始めてました。今日も天気は良好!
お祭りのメインストリートとなる場所。被災前は、住宅が立ち並んでいたということです。

今年の山車。黄色い山車が津波を乗り越えた荒町の山車、左の紫のほうが「今泉」と書いてあるので、この夏に新調された山車です。
想像していたものより大きくてびっくり。それに飾り付けも初めて見ます。仙台の七夕に近いですね。伊達藩だからかな。これをぶつけ合うというのですが、このときは全く想像がつきません。

飾り付けを近くで見ると、紙のひもに紙の花が結いつけられています。今年は、この飾りにみんなの短冊も括り付けられました。この花織はすべて手作りです。一部は西和賀町の福祉施設のおばあちゃんたちも折ったとか。そんな支援、つながりもあるんですね。

この山車、何がすごいって全部手作りなんです。しかも金具をほとんど使わずに山から切り出した藤づるで固められています。祭りの2か月前から、気仙の男たちが山から切り出すところから作業を始めて、最後はほぼ徹夜で作り上げられています。

次々と集まってくる男衆たちの祭り姿がかっこいい。めいめいに意匠を凝らした衣装。祭りの花ですね。今日のこの日のために作り上げてきた達成感と喜びがにじんでます。見ているだけで、万感。

そうこうしている間に、西和賀町から「雪」が届きました。ダンプ2台分。西和賀町はかまくらで有名な秋田県横手市に接する豪雪地域です。毎年、雪氷祭りを夏に開催しているということで、その余ったものがあったということで、急きょ運んでくれました。夜明け前3時から運搬作業をしたとか。お疲れ様です。

この真夏に雪!何に使うのかと思ったら、「暖炉」ならぬ「雪冷炉?」 ベンチもおいて、暑さをしのぐ場所が作られました。関東から支援者の子供たちも来ていたので、大喜びでした~。

午前10時、いよいよ山車が出され、1回目のけんかが始まります。
山車を引き出す前にご祈祷がされました。万感の思いがそれぞれの胸に満ち溢れます…。
こんなに強く、そしてたくさん思いが詰まったお祭りを、私は初めて見ました。

いよいよ山車が出されました。どんなふうに動かされるのかと思ったら、ハンドルがあって、タイヤが動くわけではないので、前後の梶棒を左右に押したり引いたりしながら動かされます。こんな大きなものが!!
このときは、危ないので、一般の人は見るだけです。

けんかの前に、街を練り歩きます。このときは、みんなで引き綱を持って引っ張って歩きます。掛け声は「よいやさ~よいやさ~」。みんな・・・みんなに届くように、大きな声で歩きます。太鼓と笛のお囃子どんどん。
今泉の人たちは、おなかにいるときからこの太鼓の音を聴いて育つんだって。だから、激しい太鼓の音だけど、生まれたばかりの赤ちゃんもながずに喜ぶんだって、今泉の男が教えてくれました。お祭りは血肉に溶けているもんなんですね。

いよいよ「けんか」です。このけんか、上手にぶつかるように調整した後、ひもを反対側に伸ばして、それをみんなで引っ張ってぶつけ合うんです。最初にどーんとぶつけて、そのあと引っ張り合う。やってみると綱引きのよう。引っ張られちゃうのも怖いから頑張って引っ張ります。それが結構しんどくて、太ももがいたくなった・・・。1日に3回やるんですが、私は2回参加。2回とも勝ちました!(やったー)

けんかの最中は、山車の上では笹をぶつけ合います。結構激しく叩き合って、見ているとすかっとします。

山車が動いている間は、けんかとけんかの合間でもずっと太鼓とお囃子が鳴ってます。それを鳴らしているのは、地元の子供たち。すごい。けんかと祭りのDNAが埋め込まれるはずです。かっこよくて、ずっと眺めちゃいました。

夜になると、山車の飾りつけが変わります。夜のけんかが一番の見どころとか。お客さんも続々と増えてきました。



夜2回ぶつけ、最後にみんなで一本締め。祭りは盛り上がりに盛り上がり、終わりました。
お客さんも帰り始めて、そのあと、祭りの直前に急死した仲間のために、最後に太鼓が叩かれました。最初1台の山車だけで叩いていたのを、もう一台も叩き始めて、すべての力を使い果たしてしまうかのようにお囃子が気仙の町に海に響いて、いつまでも響いて止みませんでした。本当の祭りはなかなか止まず、「今年の太鼓はこれでたたき納め。力の限りたたけ。」その言葉の通りの響きでした。
祭りを見ていた西和賀町の人が、「これが本当の祭りだよな。多くの祭りは、ただのイベントなんだ。」とつぶやいていたのが、忘れられない。「祭るもの」があって、初めて「祭り」になる。
本当の祭りを、人生で初めて見せつけられた、長い一日でした。
こうして、気仙、今泉は、未来へ続いていく。つなげられていく。人がつないでいくだね。すごい。
(わかな)
今、岩手県内各地では秋祭りの真っ最中です。今日は遠野を車で通りすぎた時に、神楽のお囃子が聞こえてきました。そんな時節ですが、お祭りつながりでアップを忘れていた8月の七夕祭りの記録です。
被災後、4月~8月頃まで内陸の西和賀町に陸前高田の皆さんが内陸避難生活を送っていました。その時に支援をしたきっかけで、西和賀の方は陸前高田の方の支援を続けています。最近は、「チームにしわが」を結成し、これからも長期的に支援を続けていく体制を整えました。(当センターを通じて、日韓共同募金を活用させていただいています。ありがとうございます。宣伝。)
8月7日、陸前高田氏の気仙町にて、けんか七夕が開催されました。被災前は6台あった山車は5台が流され、昨年度は1台で「けんか」ができない中での七夕となったということですが、今年は茨城のスーパーカスミさんなどの支援を受けて山車を1台新調し、震災後初めて「けんか」をできる!という熱い思いの中での七夕でした。
準備のため、朝は6時集合。すでに、暑くなり始めてました。今日も天気は良好!
お祭りのメインストリートとなる場所。被災前は、住宅が立ち並んでいたということです。

今年の山車。黄色い山車が津波を乗り越えた荒町の山車、左の紫のほうが「今泉」と書いてあるので、この夏に新調された山車です。
想像していたものより大きくてびっくり。それに飾り付けも初めて見ます。仙台の七夕に近いですね。伊達藩だからかな。これをぶつけ合うというのですが、このときは全く想像がつきません。

飾り付けを近くで見ると、紙のひもに紙の花が結いつけられています。今年は、この飾りにみんなの短冊も括り付けられました。この花織はすべて手作りです。一部は西和賀町の福祉施設のおばあちゃんたちも折ったとか。そんな支援、つながりもあるんですね。

この山車、何がすごいって全部手作りなんです。しかも金具をほとんど使わずに山から切り出した藤づるで固められています。祭りの2か月前から、気仙の男たちが山から切り出すところから作業を始めて、最後はほぼ徹夜で作り上げられています。

次々と集まってくる男衆たちの祭り姿がかっこいい。めいめいに意匠を凝らした衣装。祭りの花ですね。今日のこの日のために作り上げてきた達成感と喜びがにじんでます。見ているだけで、万感。

そうこうしている間に、西和賀町から「雪」が届きました。ダンプ2台分。西和賀町はかまくらで有名な秋田県横手市に接する豪雪地域です。毎年、雪氷祭りを夏に開催しているということで、その余ったものがあったということで、急きょ運んでくれました。夜明け前3時から運搬作業をしたとか。お疲れ様です。

この真夏に雪!何に使うのかと思ったら、「暖炉」ならぬ「雪冷炉?」 ベンチもおいて、暑さをしのぐ場所が作られました。関東から支援者の子供たちも来ていたので、大喜びでした~。

午前10時、いよいよ山車が出され、1回目のけんかが始まります。
山車を引き出す前にご祈祷がされました。万感の思いがそれぞれの胸に満ち溢れます…。
こんなに強く、そしてたくさん思いが詰まったお祭りを、私は初めて見ました。

いよいよ山車が出されました。どんなふうに動かされるのかと思ったら、ハンドルがあって、タイヤが動くわけではないので、前後の梶棒を左右に押したり引いたりしながら動かされます。こんな大きなものが!!
このときは、危ないので、一般の人は見るだけです。

けんかの前に、街を練り歩きます。このときは、みんなで引き綱を持って引っ張って歩きます。掛け声は「よいやさ~よいやさ~」。みんな・・・みんなに届くように、大きな声で歩きます。太鼓と笛のお囃子どんどん。
今泉の人たちは、おなかにいるときからこの太鼓の音を聴いて育つんだって。だから、激しい太鼓の音だけど、生まれたばかりの赤ちゃんもながずに喜ぶんだって、今泉の男が教えてくれました。お祭りは血肉に溶けているもんなんですね。

いよいよ「けんか」です。このけんか、上手にぶつかるように調整した後、ひもを反対側に伸ばして、それをみんなで引っ張ってぶつけ合うんです。最初にどーんとぶつけて、そのあと引っ張り合う。やってみると綱引きのよう。引っ張られちゃうのも怖いから頑張って引っ張ります。それが結構しんどくて、太ももがいたくなった・・・。1日に3回やるんですが、私は2回参加。2回とも勝ちました!(やったー)

けんかの最中は、山車の上では笹をぶつけ合います。結構激しく叩き合って、見ているとすかっとします。

山車が動いている間は、けんかとけんかの合間でもずっと太鼓とお囃子が鳴ってます。それを鳴らしているのは、地元の子供たち。すごい。けんかと祭りのDNAが埋め込まれるはずです。かっこよくて、ずっと眺めちゃいました。

夜になると、山車の飾りつけが変わります。夜のけんかが一番の見どころとか。お客さんも続々と増えてきました。



夜2回ぶつけ、最後にみんなで一本締め。祭りは盛り上がりに盛り上がり、終わりました。
お客さんも帰り始めて、そのあと、祭りの直前に急死した仲間のために、最後に太鼓が叩かれました。最初1台の山車だけで叩いていたのを、もう一台も叩き始めて、すべての力を使い果たしてしまうかのようにお囃子が気仙の町に海に響いて、いつまでも響いて止みませんでした。本当の祭りはなかなか止まず、「今年の太鼓はこれでたたき納め。力の限りたたけ。」その言葉の通りの響きでした。
祭りを見ていた西和賀町の人が、「これが本当の祭りだよな。多くの祭りは、ただのイベントなんだ。」とつぶやいていたのが、忘れられない。「祭るもの」があって、初めて「祭り」になる。
本当の祭りを、人生で初めて見せつけられた、長い一日でした。
こうして、気仙、今泉は、未来へ続いていく。つなげられていく。人がつないでいくだね。すごい。
(わかな)
■
[PR]
▲
by iwasen_icsc_2005
| 2012-09-17 03:59
| 東日本災害復旧&復興
|
Comments(1)
田野畑村の明戸集落で、オリジナルのTシャツを作りました。(8月5日のスタッフブログ参照)
8月上旬、某所にて発見!

よくわからないので、もう少し近づいてみましょう・・・。

大人用(紺)と、子供用(黄色)でした。黄色がとってもかわいいですね。(撮影協力、旦那と長男)
ちなみに、宣伝+自慢ですが、某所とは、私の実家の実家の五島列島福江島です。高浜ビーチと頓泊(とんとまり)ビーチという白い砂浜が美しい屈指の海水浴場で海を満喫した帰りです。

おやおや~、なぜか大阪空港でも発見。(〇ALのコマーシャルではありません)

子供用(黄色と紺色)です。黄色の背中は、「明戸」の文字がまぶしいですね。
大人用の背中も紹介。

しかし、夏休みの大阪空港の出発ロビーで、パソコンを開いて仕事をする哀愁が感じられる背中になってしまいました・・・(涙)
Tシャツは生地もしっかりしていて、着心地抜群です。デザインも普段使いにGOOD。
ぜひ、お試しくださいね!
(五島での夏を自慢したかっただけのわかなでした~)
8月上旬、某所にて発見!

よくわからないので、もう少し近づいてみましょう・・・。

大人用(紺)と、子供用(黄色)でした。黄色がとってもかわいいですね。(撮影協力、旦那と長男)
ちなみに、宣伝+自慢ですが、某所とは、私の実家の実家の五島列島福江島です。高浜ビーチと頓泊(とんとまり)ビーチという白い砂浜が美しい屈指の海水浴場で海を満喫した帰りです。

おやおや~、なぜか大阪空港でも発見。(〇ALのコマーシャルではありません)

子供用(黄色と紺色)です。黄色の背中は、「明戸」の文字がまぶしいですね。
大人用の背中も紹介。

しかし、夏休みの大阪空港の出発ロビーで、パソコンを開いて仕事をする哀愁が感じられる背中になってしまいました・・・(涙)
Tシャツは生地もしっかりしていて、着心地抜群です。デザインも普段使いにGOOD。
ぜひ、お試しくださいね!
(五島での夏を自慢したかっただけのわかなでした~)
■
[PR]
▲
by iwasen_icsc_2005
| 2012-09-05 02:15
| 田野畑村明戸
|
Comments(0)
1