集落に住んでいるかたが、このHPのブログ(ふるさと応援団のページ)を日々更新してくれていて、復旧や復興に向けた様子を伝えてくれています。
ぜひ、ご覧ください。コメントも、お待ちしています!
情報は随時更新されていますので、詳細は各団体へ問い合わせの上ご利用下さい。


それぞれ下記サイトからの情報をまとめて作成しました。
<道路情報>
国土交通省 道路局HP
ttp://www.mlit.go.jp/road/bosai/infolist3.html
岩手県 通行確認済路線図
ttp://pref-iwate-main.cloudapp.net/view.rbz?cd=31582&ik=0&pnp=14
<鉄道情報>
JR東日本 東北地方太平洋沖地震発生等によるJR東日本管内の運転状況のお知らせ
ttp://www.jreast.co.jp/
三陸鉄道
ttp://www.sanrikutetsudou.com/
<空路情報>
いわて花巻空港
ttp://www.hna-terminal.co.jp/
吉村
岩手県内陸でもガソリンや灯油が手に入りやすくなってきましたが、スーパーなどでは品不足が続いています。昨日の夕方、買い物に行きましたが、お目当ての牛乳、食パン、納豆は品切れで代えませんでした。手に入れるには、朝行かないとだめみたいです。商品棚は空いているところも多いですが、食べ物が全くない、ということではないので、食べ物の大切さを見直すためにもこのくらいの品不足でもやむをえないな、と肯定しています。今まで、多すぎたのかもと。
いろんな人が、自分たちが出来る範囲で、といいながら、被災地のために活動をしている様子が聞こえてくるようになりました。
私が以前に住んでいた花巻市東和町谷内地域では、それまで、青年会同士が親交があった山田町のある集落で、避難所ではなく旅館にみんなで避難をしているので、物資が不足していると連絡があり、連合自治会全体(東和東部地区コミュニティ会議)で、米などの物資を集め、20日に運んだそうです。東和町は農村部なので、さぞや物資が集まったのでは、と聞いたところ、4トントラック2台分になったとか。
東和町浮田地区も三陸町崎浜地区とこれまで交流をしていて、15日にはトラックで、駆けつけています。
集落と集落が結びつくと、非常時にはこんなに心強い連携になるんだなと、改めてネットワークの大切さを感じました。
個人の力ももちろんすごいです。学生の中には、実家や親戚が沿岸にいるという学生も少なくありません。ある学生は、自転車で実家のある釜石に帰った、とか、今、実家のある宮古でボランティア活動を続けているとか・・・。
想像以上の大災害。想像以上の復興を!
道中の道路の様子や岩泉のまちなかなどは、道の駅に自衛隊の車両が多く止まっているほかは、特に普段と変わらない様子でした。津波の被災を受けたと聞いている岩泉町小本の手前を左折して、県道に入り、45号に抜けて田野畑に入りました。45号沿いのアズビイに多くの方が避難されていると聞いていたので少し覗いてみましたが、水や電気、食料等の物資は概ね揃っているようで、物資を降ろす作業なども皆さんで協力してやっていました。
役場付近の信号を右折して、平井賀のほうに下りていきました。
大津波の被災地を初めて見ましたが、テレビで映されている通り、何もない更地に瓦礫がぼつぼつとのっかっているというような有り様で、もともとどこに何があったのか一瞬にはわからない風景でした。元の道路のところに車が1台通れるくらいの道がつけられていて、明戸や机、北山にもいけるようになっていました。道作りなどの復旧はだいたい行われていて、瓦礫などの撤去を待つ段階、といった感じでした。
その中で、自分たちの荷物を探している人、1階部分は骨組みだけになった家の手入れをしているような方がいたりする中で、警察の車両や警察官の見回りなどが行われていて、集落のあとが守られていました。警察の方は山形や栃木から来ているようで、被災直後に入られたということで、その迅速な体制はすごいなと。
田野畑は、役場や診療所、郵便局、JAなどの主要施設は海から離れた山の上にあるので、役場は無事で、職員皆さん不眠不休で村を守っていますが、村内全域の固定電話、ネット環境、携帯電話がダウンしているので、その中で活動する苦労は並大抵ではないようでした。
今日、一日だけの日帰りの行程なので、被災された方と直接話す機会はほとんどありませんでしたが、感じたのは、被災を受けていなくて、支援に入りたいと思っている私たちは、無事に今暮らせるところがあるのかという当面の復旧をどうしても考えてしまうけれども、被災されたかたがたはその先の、仕事がどうなるのか、この先どうやって暮らしていくのかということが一番心配で不安なのだということ。
私は今まで復旧と復興が違うということも知らなくて、そんなことはもう当たり前なのかもしれないけれど、被災者とそうでない人は違うということは、それはどこまでいっても“違う”から、これからいろんなことは、そこを忘れないで取り組まなくてはいけないんだと感じながら帰ってきました。大災害という本当に厳しい現実と立ち向かう難しさを感じてきました。
岩泉町では、役場の入り口で主に町内にすんでいる方ボランティア活動の受付が行われていて、9:30~16:30に行くと、ボランティア活動に参加させてもらえる仕組みが出来上がっていました。
受け入れ態勢を一からつくることは、物理的にも心理的にもすごく大変な作業かと思います。田野畑村ではこれからのようですが、田野畑村を心配し、何かできることをしたいと思っている人はいるので・・・災害にくじげず、立ち上がる日と、連絡を、待ってます! (わかな)
今日、被災地支援情報共有サイトを教えていただいたので転載します。
SAVE IWATE(盛岡市)…有志で構成された岩手県沿岸の被災地支援情報共有サイト。ボランティア情報多数。
http://sviwate.wordpress.com/about/
どうしても情報が錯綜するので、わかりやすいポータルがあるとありがたいです。
先週の今頃は、まだ普通にのんびりとした朝を迎えていたんですよね。

花巻の今朝もだいぶん冷え込みました。我が家で咲き始めていた福寿草も雪に凍えています。
昨日一昨日あたりから、道路の通号止めが解除になったという情報を受け、俄かに支援物資を届けようとする動きがあちこちで活発になってきました。旦那の会社では、親戚がすむ気仙沼に行くので物を集めて欲しいという情報があり、我が家からはトイレッペやティッシュ、生理用品、カップらを拠出。みかんやパンなどもあったのですが、それは却下されました。
子供が通っている保育園では、子供服を集め始めました。一応と思って、乳児の肌着からとっておいているので、きれいなものを選んで出そうと思います。
ガソリンが相変わらずないのですが、スタンドに並ぶ車も減ってきました。西日本から石油が届くとか、石油列車が届くとか情報が届いているので、前向きになってきたような気がします。でも、国の石油の要請は少し遅いのはないかと・・・。
被災を受けた田野畑の方と連絡が時々取れていますが、途方もない被災状況の中で、前向きにがんばっている雰囲気が伝わってきます。
こちらも応援をがんばらなければ。
田野畑村明戸の「ふるさと応援団」の便り第2号を本日送付しようと発送準備を進めています。実は、被災前の2月25日に打ち合わせをしていた内容のままですが、返信用のはがきも入れているので、出身者の皆さまからの声を明戸に届けたいと思っています。(わかな)

田野畑村明戸の情報が入りましたので、「応援団」ページに更新しました。
今朝、灯油を買いに走りました。800人限定、ひとり一缶までで、明日以降の販売はないということでした。ガソリンもみんな買いに走っていて、8時前から長蛇の列です。並んでも変えない可能性もあるので、我が家ではガソリンはあきらめました。自転車と徒歩生活です。ホームセンターでは、自転車が飛ぶように売れているということです。
家でも省エネ生活です。ストーブは小さいのをひとつだけ。お風呂は2~3日に1回でまとめて入るようにしています。ズボンも靴下も2枚重ねです。ただ、子供が小さいので、風邪を引かせないように十分気をつけないとと思っています。風邪ひいちゃったら、どうなるのかな・・・。
今日から保育園で受け入れをしてくれることになりました。給食の備蓄がないのでおかず入りのお弁当とお菓子を持参です。暖房の燃料がなくなったら預かってもらえないかも。
NPOは年度末なので、報告書作成などの仕事に追われています。電気があれば仕事は出来ますので、お蔭様でその点は通常営業です。
私の旦那が、奥州市江刺区でお米をつくっています。主に生協に卸していますが、生協は被災地への炊き出し用などに数トン購入したということで、日曜日から精米などの作業に追われています。JAのお米はどんどん被災地へ送られているということで、一般家庭でのお米の不足もこれからあるかもしれません。
それから、本来なら今年のお米作りを始める時期で、種籾の消毒作業などが始まるようです。ただ、燃料不足などもあり、苗作りに必要な土が3割ほど足りないということでした。今からしっかり準備しないと、今年のお米も不足するということです。そういうことで旦那は通勤をしないといけないので、なんとか通勤しています。ガソリンがなくなったら、泊り込み・・?
被災されたところに、早く少しでも暖かい陽が届きますように。春、早く来い。(わかな)
花巻の事務所は空港のそばにあります。花巻空港は地震直後から閉鎖されていますが、自衛隊の救援基地になっているようで、直後からひっきりなしにヘリコプターの音がしていました。がんばれよーとエールです。
いわせんで支援をしている田野畑村も大変な被害を受けているようです。明戸集落の様子については、詳しくは分かっていませんが、分かっている範囲で「ふるさと応援団」のブログに記載しましたので、気になる方は見てみてください。(わかな)
盛岡はかなり復旧が早かった方ではないかと思います。
12日の夕方には大学周りはほとんど電気・水道が通りました。
(盛岡市街地以外はちょっと私はわかりませんが)
地震当時、大学にいました。
かなりの揺れがあり、棚や机の上からかなりのものが落ち、
もうすっちゃかめっちゃか状態でした。
(広田先生の部屋が一番ひどかった)
大学にいたメンバーにはけがはなく、
その日から、ひとり暮らしの学生は研究室のゼミ室で、
何人か集まって夜を過ごしたようです。
私は自宅が盛岡の本宮なので戻りましたが。。。
広田先生と三宅先生がついていてくれたので、大丈夫だったみたいです。
昨日、集まれる人は集まって研究室の片付けもしました。
沿岸部との連絡が全く取れない状況なので、
親戚などと連絡が取れないという人はいます。私もその一人ですが、
希望を捨てず、これからのことにもしっかり立ち向かっていかなくては、と思っています。
大学が中心となって学生の安否確認を進めています。
学生の方にも被害がないことを願うばかりです。
北條